ある話を聞いた。
課長が部長に自分は嫌われてると思っていると。
なぜかと言うと、部長が会議に課長だけ呼ばなかったから。
自分だけ仲間はずれにされてると思った。
その話を聞いた人が、部長に尋ねたらその回答は、とんでもない、むしろ課長は私にとっていなくては困るとても大切な存在だと思っている。と。
常々課長はとても忙しくしてるし、会議の時間が無駄だと良く言っているので、少しでも課長の負担を少なくするべく、会議は部長が1人で引き受けようと思って課長を会議に呼ばなかった。と。
事実として、課長が会議に参加しなかった事には変わらないが、どういった思いでその行動をしたかというのは本人に聞くまでわからない事である。
やり取りする中でお互いに思ってることが違うにも関わらず、そうに違いないと決めつけてしまうと、本当は喜ぶべき事柄も自分自身が抱いた妄想により辛い気持ちになってしまう。
私も上司が嫌いな理由にこれに近いものがあるな、と感じた。
嫌いになった最初のきっかけは、上司のビッグマウスを私が気付けず、この人についていこう!と心から信じてしまったが故に、尊敬してたが中身が空っぽだったことが判明して、がっかりしたことから始まるが、
その後はもうその上司に期待しないように、もう自分が傷つかないようにと、いつもネガティブに捉える癖があったかもなーと思い返した。
それからは、私のことを思ってやってくれてるだろう、と思っても、いや、あの人のことだから私のことなんて考えてないに違いない、と決めつけてやってきた。
だからきっと私が上司のことを嫌いなことを上司は知らないのかもしれない。いや、気づいてるけど知らないという体で接してきてるのかもしれない。
以前、上司が私の世話を放棄した時、私は上司がいないと何も進めない状況にいて苛立っていた。
が、視点を変えて、上司がいないとできないことが進まずにイライラしてもしょうがないから、自分のできる違うことに手をつけよう!と、自分なりに行動して動いた。
その上司と2人きりのミーティングの際、上記のことを伝えると、「普通は不貞腐れたりしてもおかしくないのによく頑張ったね」と言われたので、「不貞腐れましたよ?」って伝えたら、「知ってるよ」って返ってきた。
この事例が、彼女の二面性を明らかにした。
知ってたら最初の話はなんだったの?不貞腐れたの知ってて、あえてそう突っ込んできたのなら、性格めちゃ悪くないか?と思ってしまった。
それからは、その上司のやることなすこと、私のためと言われようが全部信用できなくなった。人はみんなそうなんだけど、その人も全部自分のため。それを恩着せがましくされるからやなんだよね。
だが、復帰してみて、自分の働きやすい環境を作るために、私はもう一度このポジティブな考え方を取り入れるべきだろうか?
「事実が不確かなときはポジティブに考える」
いやはや、また信じて騙されるだろうか。
騙されて傷つくくらいに信用しなければいいんだろう。
どういう経緯でその行動に至ったのか、とりあえずポジティブに考えてみて、そして逆に、最悪のシチュエーションも考え、どう転んでもいいように、あまり頼りすぎず、自分がメインで動き、あくまでも少しサポートしてもらうくらいの気持ちでいればいいだろうか。
うん。そうしてみよう。
行動は全部自分の責任。
だから自分で決めて自分で責任をとる。
私はその上司を頼りすぎてたし、信用しすぎてた。
たとえ失敗したとしても、その人を見抜けなかった私が悪い。信じた私が悪い。
でもそうやって学んでいけばいい。
失敗は成功のもと!
何度も失敗していいんだと思う。
人生に無駄はない。
だからこれからも傷つくことがあるかもしれないけど、もっとポジティブに考える癖が私には必要かも。
嫌いな先輩のことも、
きっと私のこと嫌いだろうに違いないって思ってるんだけど、嫌いなんじゃなくて先輩がコミ障なだけ、って思っておけばいっか!
気配りができないただのすっとこどっこいだから、彼女は歳上ではあるが、彼女ができてない時は私が教えてあげよう!くらいの気持ちでいた方がいいのかな。
もっと心が広くなりたい。
そう思ってるから願いは叶うよね。
地道に一歩ずつ頑張ります。